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大阪家庭裁判所 昭和49年(家)2300号 審判 1975年12月12日

申立人 青木章(仮名)

相手方 青木勝男(仮名)

事件本人 青木靖夫(仮名)

主文

本件申立てを却下する。

理由

一  申立人は、相手方を事件本人の扶養義務者に指定する旨の調停を求め、その実情として、相手方は事件本人の叔父にあたるものであるが、事件本人が昭和四八年夏以降精神病院において入院加療中であつたが、昭和四九年六月初旬退院予定となつたものの、事件本人の長兄にあたる申立人をはじめ、その他の扶養義務者に扶養能力がなく、事件本人について退院後必要な扶養の能力を有するのは相手方をおいて他にないので本申立てに及んだものである、というにある。

二  昭和四九年五月一五日本申立てがあつて以降、当裁判所調停委員会の調停を開いたが、同年一〇月二日調停は不成立となり、審判に移行した。

三  本件記録添付の戸籍謄本、当庁家庭裁判所調査官作成の調査報告書二通、申立人および相手方審問の結果を総合すると以下の実情を認めることができる。

(一)  事件本人は青木昭二、さだよの二男であり、申立人は同夫婦の長男、相手方は青木昭二の弟であるから、事件本人と相手方は叔父甥の間柄にあり、親族三親等である。

(二)  事件本人は昭和四八年八月頃精神分裂病のため○○市××の○○神経サナトリウムに入院し、医療保護および生活保護を受給して加療を受け、昭和四九年一一月同病院を退院後事件本人肩書住所地の府立社会福祉施設△△寮に入所中であるが、従前どおり生活保護の受給を得ながら療養中であり、病気の方も軽快しつつあるものの労働能力はなく、資産もない。事件本人の入院直前の生活は、××市○○○二丁目五の一四に借家住いをしてトレースの職務に従事していたことの他申立人らと音信も無かつたのでその詳細は明らかではない。

(三)  事件本人には申立人の他に弟妹として三男良夫(昭和一三年四月二一日生)、二女千代(昭和一五年七月二一日生)、四男貞夫(昭和一五年七月二一日生)、六男正夫(昭和二一年一〇月七日生)、三女左千子(昭和二四年五月三一日生)があり、他に兄弟姉妹、直系血族はない。事件本人および申立人の父青木昭二は、申立人肩書住所地において新聞販売店を営んでいたが昭和二六年死亡後申立人が母とともに家業を継いだものの、その母も昭和三〇年に死亡したため、生活は苦しく、六男正夫を除いて他の弟妹は中学校を卒業後それぞれに家を出て七人兄弟姉妹のうち四人の行方が不明となる等一家離散に近い状態となり、現在に至るも四男貞夫および二女左千子は全く音信もなく生活状況も不明である。申立人は肩書住所地において六男正夫と同居して新聞、週刊誌の即売業を営んで一か月金一万円前後の収入を得る傍ら、小説を書いているがさしたる収入源とはならず、昭和四五年頃○○市の所有土地家屋を処分して得た代金四八〇万円で生活を立てており、住所地家屋は借家で一階が店舗、二階が六畳、二五畳の二間で、結婚歴はなく、食事も全く外食でまかなつている。同居している六男正夫は印刷会社に勤務して一か月約金一〇万円の収入を得ているが、生活状況は申立人と略同様である。三男良夫は新聞販売店に勤務して一か月約金一〇万円の収入を得、妻と子供一人が××市において四、五畳と二畳二間の住居に居住している。二女千代は高山照夫と昭和四二年結婚し、二人の子供とともに夫の勤務先の事務所の二階に居住している。

(四)  相手方は新聞配達をして一か月約金九万円の収入を得、肩書住所地において税理士事務所に勤務する二男克也(昭和二三年一月一日生)○○建設株式会社に勤務する三男敏也(昭和二六年三月一六日生)と三人暮しで妻は既になく、男世帯であるため時々家政婦の訪問を得て家事をまかなつている状況であり、肩書住所地の自宅の土地および家屋各一〇〇m2余を所有し、階下の一部を書店の倉庫に賃貸している他は三人の家族で四居室を使用している。

(五)  事件本人は昭和二九年三月高校卒業後、当時自宅において新聞販売店を営んでいた相手方の下で販売員として三か月ないし一年足らずの期間勤務し、その間に自動車運転免許証を取得しタクシー運転手に転じた後、相手方との間に今日に至るまで約二〇年近くもの間全く音信すらなかつた。

(六)  申立人らの父母が死亡してから、相手方が事件本人家族の事実上の後見役となり、何かと助力し、申立人が新聞販売店の経営を継続することについてはその保証人となり、申立人の肩書住所地の新聞販売店の他に○○市にも支店を出すようにさせ、その購入資金の大半を援助し、前示の申立人が金四八〇万円で処分した土地および建物を申立人名義で購入して支店としたが、母死亡後は集金がおくれ、新聞社へ支払う新聞代金滞りがちになつて相手方が立替えるという事態も続き、さらに申立人が結核を患つたこと等から、双方話合いのうえ相手方が新聞販売店を経営するようになつた。そのことから申立人は相手方に事業を乗取られたという被害感情を強く持ち、相手方は申立人に労働意欲と責任感のないことの不信感を持ち、トラブルが絶えず、昭和三八、九年に双方で協議して新聞販売店を廃業することとし、新聞販売店の権利を処分して得た代金で貸借を清算し、結局申立人が金一六、七万円を受領して家業である新聞販売店を廃業した。ところが、その頃前示の○○市の土地および建物は申立人の名義になつていたが、権利証を相手方において保管しており、申立人に権利証を返還するとすぐ売却処分してしまうので、申立人の妹らが独立するまで自らが保管を続けるという相手方と、自分のものであるからとして返還を要求する申立人との間でトラブルが起きたが、結局相手方は申立人に対して権利証を返還し、その際もう二度と世話をしないといつて別れたまま殆ど交際もなく、今日に至つている。

四  民法八七七条二項の扶養義務者指定の「特別の事情あるとき」とは、要扶養者の三親等内の親族に扶養義務を負担させることが相当とされる程度の経済的対価を得ているとか、高度の道義的恩恵を得ているとか、同居者であるとか等の場合に限定して解するのを正当とすべく、単に三親等内の親族が扶養能力を有するとの一事をもつてこの要件を満すものと解することはできない。本件にあつては、事件本人が精神分裂症を患い、福祉施設に収容されて療養生活を余儀なくされ、労働能力も資産もなく、生活保護を受給している状態であることからして要扶養状態にあることは明らかである。そして、相手方は一か月約金九万円の収入を得ている他家賃収入もあり、自宅を所有して子供らも独自の収入の道を持つていることからすれば、現状においてはある程度の扶養能力を有するものと認められるところであるが、健康に恵まれているとはいえ、その年齢は六五歳になり、主たる収入の道は新聞配達によるものであり、その職務の労働量からしていつまで継続できるや定かではなく、一度病を得たりするならばたちまちに主たる収入の道を失うこととなるし、相手方の職歴からして若干の貯えがあるであろうこと推認し得るところであるが、さりとて自己の老後をまかなつて余りある程度の資産を有しているとの資料もなく、主たる収入の道が途絶え、貯えを費消するならばいつ要扶養者に転化するやもしれないところである。事件本人と相手方とは約二〇年近くも以前に約三か月ないし一か年足らずの間、事件本人が相手方の経営する新聞販売店に勤務したことがある以外全く交渉もなく、それ以後殆ど音信すらなかつた状況であるから、これのみをもつてしては前示の特別の事情の要件を満足させることは到底できない。その他事件本人の両親死亡後相手方が事件本人の家族就中申立人との間に新聞販売店をめぐつて種々交渉はあつたにしても、これにより相手方が経済的な対価を得たわけではなく、申立人およびその一家の事実上の後見役としての援助の一環としての行為であり、かかる経緯の存在によつてもなお特別の事情があるとは到底解し難いところである。私的扶養と公的扶助の調整は極めて困難な問題であるが、本件にあつては、相手方を扶助義務者に指定するより、相手方の年齢に徴し、自らが要扶養者に転化することのないよう、自らの老後の生活設計を立てさせることこそ肝要である。事件本人の扶養義務者である申立人をはじめとする兄弟姉妹も充分な扶養能力を有しているとはいえないものの、申立人審問の結果によると、申立人が本件申立てをなしたことを知つているものは三男晴夫のみであるというが、まず扶養義務者間で事件本人の扶養問題について充分協議すべきであり、また、申立人自身新聞販売店を廃業して以後新聞等の即売により、現在でも一か月金一万円前後の収入しか得ていないものであるから、勤労意欲を持ち、他の職業を真剣に探す意欲を持つべきであり、安易に扶養義務者の指定に頼るべきではない。

五  よつて本件申立ては失当であるから主文のとおり審判する。

(家事審判官 渡部雄策)

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